まず、最新のニューズレターの記事です。共感表明と責任承認謝罪の問題です。訴訟の多いアメリカらしい対応も示唆されていますが、医療メディエーション研修の中で、示されている患者家族への対応のあり方(即時の共感表明、約束を守る、関係の再構築が目的、患者家族とつながりを持ち続けること、週に1回は連絡をすべきことなど)と共通点も多く参考ししていただければと思います。実は下記の質問は、訳者(和田)が、9月にダグを訪問した際に行ったものでもあります。



Sorry Works! ニューズレター 2011.9.20. 
Doug Wojcieszak

途上での問い:共感が謝罪と誤解されるとき

SorryWorks! についてプレゼンテーションする際、私はいつも、共感と謝罪の相違の説明、および共感表明は100%常に適切な振る舞いであるという話から始めることにしている。

「このようなことが起こって申し訳なく思います(I'm sorry this happened...I feel bad for you) 」という言葉は共感の表明である。他方、「このようなミスが起こって申し訳ありません.すべて私の責任です(I'm sorry this mistake happened...it's all my fault)」というのは謝罪(責任承認・訳者)である。どちらのフレーズも、sorry (申し訳ない)という言葉を用いているが、前者は、感情、情緒、つながりを保つことを意味するのに対し、後者は、責任を承認し、その非を詫びるという意味をもつ。さらに、我々は、共感は事故後直ちに提供されるべきであるが、謝罪は事実の検証によりミスが確認されてから初めて提供すべきものだと主張してきている。しかし、シンシナチとケンタッキーでの講演旅行の途上で、仲間(訳者のこと)から、次のような質問を受けた。
「共感が謝罪と誤解されるときどうするのか、「申し訳ない」と言うことで、必ずしも精密な解釈をするわけでない患者・家族が、その言葉から、医師が失敗・ミスを犯したと解釈したらどうなるのか」

よい質問だ。重要な質問である。順序よく考えてみよう。

1. 我々は、その状況に合った形で共感を表明しなければならないと言ってきた。たとえば、「このような結果になったことを残念に思います」と述べつつ、調査すること、何が起こったのかの確認、患者家族にその結果を示すことなどの約束を合わせて行うのである。何が起こったのかも不明なまま、何かについて謝罪することが不可能なのは自明の理である。

2. 事故後に共感を表明する際には、必ず第三者に同席をしてもらうべきである。同僚医師でもいいし、信頼できるナース、リスクマネジャー、チャプランなど。「彼は謝罪はしていない、共感を示しただけだ」との証言してくれる誰かということである。

3. 共感表明対話の内容を、病院や保険会社の定める手順に従って記録しておくこと、そして患者・家族にはフォローアップのレターなどを送ることが大切である。語られた共感の言葉、患者家族からの質問やコメント、次の課題などを書き記すのである。記録がなければ、それはなかったのと同じである。そして何を言ったか言わなかったかについての医師の解釈もあてににならないものとされてしまう。

4. 共感表明の後も、患者家族とつながりを保持しなければならない。もし、「明日の3時までには報告します」、と約束したなら必ずそうすること。患者家族からのコンタクトや質問を待っていてはいけない。こちらから動くこと。問題は収束するまで、少なくとも週に一回は接触すること(それ以上でもよいが少なくとも1回は必要である)。我々患者家族から連絡がなかったとしても、すべてうまくいっていると推定してはならない。患者家族の迷惑になるのではないかと思う必要はない。そして何か新しい告げるべき報告事項もないなどを考えなくてもよい。それはなくてもよい。これは関係の再構築なのだということを銘記してほしい。なので週に1回は接触を持つことを心がけねばならない。

5. 事故検証によりミスがあったとすれば、事故直後の共感表明を患者家族が謝罪と受け取ったか否かは問題にならないだろう。いま、まさに謝罪をすることが必要となる。これに対し、エラーがないと判明した場合には、それでもなお共感の表明を続ける必要がある。そして、何らかの見解の齟齬が生じたら、共感表明した時点の状況、書かれた記録、同席者の言葉などによって、誤解を解いていく。

6. 最後に1つ決して誤解されてはならないことがある。事故後に患者家族から逃避したり隠れようとしたり、関係を断ち切るような行動についてである。患者家族は、常に、そうした行動を「ミスの隠蔽」と解釈する。弁護士も同様に見るだろう。そのような場合、ミスではなくても、たとえばよく知られた合併症であったとしても、医師はそのような行動について釈明できなくなる。医師は問題があると見なされ、賠償にも応じなければならなくなるかもしれない。こうした行動はまさに、不当な行動である。

今や、否定や防御の時代に戻ることはあってはならない。情報開示と共感の表明は進むべき道であり、ここで示した見解が、医療者の共感表明を支援することになれば幸いである。

Doug Wojcieszak